メコンデルタの街と就職事情

地理の教科書にある写真のようなメコンデルタの果樹園や水田、沼地を訪れると、非日常的な風景に惹き込まれます。ホーチミン市から平地が続き、タイ南部の海岸までの地域がメコンデルタとなっています。その広大な土地からの穀物の収穫量は、国の年間穀物総収穫量の3分の1を占めています。このことから、農業の奇跡と呼ばれるベトナムの稲作地帯です。米は特産品ですが、ヤシの木、果樹園、サトウキビ畑の栽培も発展しています。また、円錐の帽子をかぶった農民が栄養豊富な土壌で育つ穀物を耕す光景は、ベトナムで先祖代々受け継がれてきた光景の1つです。ベトナム人にとって、この地域はチュウロンとして知られており、数多くの洪水に耐えた水田では千年祭が開催され、メコン川周辺の9つの属国の伝話9匹の竜の元になりました。

意外にも、農業が栄えはじめたのは最近だったのです。17世紀の終わりまでカンボジアの支配下に置かれ、地域は少数のクメール王国の人々の居住地となっていました。彼らは湿地帯に拠点を置いていましたが、追い出されてこちらにやってきたのです。18世紀には、フランスが支配していたにもかかわらず、グエン王がデルタを統治するまで着実に勢力域を広げました。その栄養豊富な土壌が大きなメリットを生むことに勘付き、フランスの植民地支配者はベトナムの小作人を駆り立て、湿地の水田などを耕させました。小作人は、植民地政府が米の収穫にお金を注ぐことに気付いていたため、これに合意しました。皮肉にも、米の収穫で得た資金は、フランス軍の植民地化を進める資金獲得の為に使われル事になりました。小作人は大金をもらえるメリットに魅力を感じ耕作に飛びついたのです。さらに皮肉なことには、フランス軍にも提供されていた米が、フランス軍を打倒すべく立ち上がったベトナム軍の戦力資金ともなっていました。のちに極秘の米の保存庫を保持していたベトコン氏は、アメリカ軍に保存庫がある地域以外のエリアを空撃させるように仕向けたのです。

メコンデルタへ訪れると、異国情緒の豊かさが大いに感じられるでしょう。水牛の背中に乗っている子どもや、女性が伝統的な白のドレスを着て田舎の小道を自転車を運転する情景が日常生活にあります。耕作人はすぐ稲作農業に取り組み始め、市場の販売業者は、果物が積み重なっている車を見て笑みを浮かべていました。鮮やかな黄色の芳香木が道路沿いで乾燥され、夕暮れ時の動物保護区域ではコウノトリの群れが飛び回ります。クメール僧がパゴダ寺院の影をゆっくりと歩いています。艦橋で子供が無邪気に走り回ったり、川床のデルタの複雑に入り組んだ水田でボートを漕いでいます。

かなり離れた場所にあることから、あまり観光地として有名ではありませんが、デルタ地帯には観光施設のある町が多くあります。ミトー市はボートを使い旅行するには最適の都市で、1日で巡ることができるホーチミン市とはアクセスの相性が抜群です。デルタ最北端の国 ティエンザン省には食欲をそそるグルメがあり、ミトー市からのんびりとした雰囲気のベンチェ省や果樹園は目と鼻の先にあります。カオラインは鳥好きにはもってこいの場所ですが、昔からずっと色褪せない川と色鮮やかな花の栽培を行っているサデクにはさらに見所があります。道を下った先にもう一つボートでの旅行にいぴったりのビンロンと呼ばれるところもあります。

観光客の多くは、立派なホテルやレストランを最大限に利用し、また近くにある水上マーケットに繰り出す前の休息の場所としてカントー市で1日から2日を過ごします。カントー市から、周囲にある沼地のデルタへボート探索ができるカマウ省 デルタのふもとにはふと足を止めてしまうような魅力があります。 クメール族の本拠地であるソクチャン省で毎年11月から12月に開催される華やかなオク・オム・ボク祭に出くわしたら旅の良い思い出にになります。そこでは、地元のクメール人がロングボートレースを開催しています。一方で北カントー省では、サム山の南部広がる活気溢れる町チャウドクの広大な平野が観光客を迎えます。カンボジアとの国境の始まりであるメコンデルタには、ボートでプノンペンへ向かう観光客が絶えず、帰国する前にここで数日を過ごす人もいます。ここからヒューコック島からカンボジアのシアヌークビルやバイスバルサ湾沿いに旅行ができるため、人気度が高まっています。

洪水を考えると、デルタを訪れるベストシーズンは、おそらく12月から5月にかけての乾季でしょう。

メコンデルタ周辺への工業団地は少なく日系企業の進出もあまりありません。日本からの駐在員として働いている日本人はいるようですが、数えれるほどしかいません。現地採用スタッフとして働くにはハードルが高いエリアです。どうしてもメコンデルタが良いとなれば、バイクで3時間ほど離れたホーチミンで働いて週末だけ過ごすという形が現実的です。

Please follow and like us:

カントーの街と就職事情

カントー省は人口数百万人を誇るデルタ最大の町です。商業の盛んな地域ですので、ショッピングなどをして楽しむことでデルタの静かな隔地で過ごした後の良いリフレッシュとなります。しかし、町は決して活発とした印象ではありません。 カントー省には急激な発展による都市開発で過剰建設が行われ様々な負担がのしかかっています。一方でその経済効果は沿岸部にまで影響が押し寄せ、予想していなかった嬉しい経済効果が生まれました。

カントーとハウジアン川の合流点は、市内の主要な商業の中心地であり交通機関の出入り口です。商用空便用に元アメリカ軍基地で使用された場所の利用が再開されただけでなく、デルタ最大の橋の建設を完了させた力の入れようから、デルタが政府にとって将来の都市開発計画に重要であることがわかります。

しかしカントー省は、単なる商業の中継地ではありません。デルタで最も良いレストランのいくつかがここにあるからです。さらに、栄養豊富なカントーの稲作地は決して遠くはなく、運河と川の合流地点はデルタで最も有名な水上マーケットとなっています。カントーは、北ベトナム軍に最後まで戦い続けた都市でした。1975年5月1日サイゴン陥落の日に国が再統一されたのです。 

ボートでの旅行といえばカントーへの観光が有名ですが、ここでは観光を楽しむことができ良い気分転換になるでしょう。

ホーチミン市の南西部では、おびただしい数のバスが都市開発中の町から長閑なメコンデルタ上部まで走行しています。デルタの持つ魅力はあまり発信されていませんが、先祖のお墓が点在する美しい草原や稲作地を見ると瞬く間に知られるようになるでしょう。

ホーチミン市の70km北には、ティエンザン省やメコン川最北のほとりに佇む和やかな市場のあるミトー省があります。

ミトー省からホーチミン市はアクセスが良好で、デルタへの日帰り観光客が多く立ち寄る場所となっています。多くの観光客が押し寄せた結果、強引な押し売り商人が、到着したツアーバス一つ一つに群がっていることがあります。それでもやはり、ホーチミン市の混沌とした場所を体験した後にこちらに来るとかなりリラックスできます。22万人以上が暮らしているとは思えないような人気がない通りが多く、ボートに乗り裏通りを探検するなど喧騒から簡単に離れることができます。
この地で就職するとすれば、ベトナム企業くらいしかありません。外国人が働くとなると、ホーチミンと比べ格段に給料水準が低くなりますので、ホーチミン7区などで仕事を探せばギリギリ通えると思います。

この街の歴史を考えると、観光客のこの地域への殺到は自然なものです。17世紀後半の明王朝の崩落により、フェルモサ(現在の台湾)から逃亡してきた移民が、以前からクメール人の支配下にあった地域への侵略を目論んでいたベトナムの人々と力を合わせこの地域に殺到したのです。

2世紀後、ベトナム戦争で継続的に町に軍が置かれている間、地域の栄養豊富な稲作と果物を探していたフランス軍がこの地に守備隊を置き、豊作物を運ぶため廃止されていた鉄道線をサイゴンまで伸ばす価値があると判断しました。現在、賑わっている市場を歩くだけでわかりますが、ミトー省はこれまでより商業において重要性が際立っています。

川の賑わい状況や優雅なサイパンから広範囲にわたり未塗装での貨物船が走行しているのが西部のラックホン公園から最もよく見えます。この公園ではデルタで最も個性的な船先に猫の目が描かれているボートが見れる場所です。週末の夕方には、街角は行き来する家族で賑わい、風船、ポップコーン、熱帯魚まで売っている人があちこちにいます。夜には、若いカップルたちが身を寄せ合いながらオートバイに乗り、かつてミソーで学問を学び反フランス軍に対抗した19世紀の英雄グエン・フー・アンの像が見下ろす街で少年たちはシャトルコックフットボールをし遊んでいます。

日帰り旅行をする人は、メコン川のティエンジアン省の島々をツアーバスやボートで旅行し船酔いするなど気分が悪くなる人が多いため、ミトーをあまり観光しません。メコン川上流部にあるカイビーでも同様です。11時ごろになるとホーチミン市からバスに乗った観光客が水上バスのボートツアーのために村に殺到します。地域を組み合わせて旅の予定を組むことは楽しく気分転換になりますが、少なくとも1泊は必要でしょう。カイビーとは対照的にドンサム集落の一風変わったヘビ園では観光客はほとんどいません。

Please follow and like us: