カントー省は人口数百万人を誇るデルタ最大の町です。商業の盛んな地域ですので、ショッピングなどをして楽しむことでデルタの静かな隔地で過ごした後の良いリフレッシュとなります。しかし、町は決して活発とした印象ではありません。 カントー省には急激な発展による都市開発で過剰建設が行われ様々な負担がのしかかっています。一方でその経済効果は沿岸部にまで影響が押し寄せ、予想していなかった嬉しい経済効果が生まれました。

カントーとハウジアン川の合流点は、市内の主要な商業の中心地であり交通機関の出入り口です。商用空便用に元アメリカ軍基地で使用された場所の利用が再開されただけでなく、デルタ最大の橋の建設を完了させた力の入れようから、デルタが政府にとって将来の都市開発計画に重要であることがわかります。

しかしカントー省は、単なる商業の中継地ではありません。デルタで最も良いレストランのいくつかがここにあるからです。さらに、栄養豊富なカントーの稲作地は決して遠くはなく、運河と川の合流地点はデルタで最も有名な水上マーケットとなっています。カントーは、北ベトナム軍に最後まで戦い続けた都市でした。1975年5月1日サイゴン陥落の日に国が再統一されたのです。 

ボートでの旅行といえばカントーへの観光が有名ですが、ここでは観光を楽しむことができ良い気分転換になるでしょう。

ホーチミン市の南西部では、おびただしい数のバスが都市開発中の町から長閑なメコンデルタ上部まで走行しています。デルタの持つ魅力はあまり発信されていませんが、先祖のお墓が点在する美しい草原や稲作地を見ると瞬く間に知られるようになるでしょう。

ホーチミン市の70km北には、ティエンザン省やメコン川最北のほとりに佇む和やかな市場のあるミトー省があります。

ミトー省からホーチミン市はアクセスが良好で、デルタへの日帰り観光客が多く立ち寄る場所となっています。多くの観光客が押し寄せた結果、強引な押し売り商人が、到着したツアーバス一つ一つに群がっていることがあります。それでもやはり、ホーチミン市の混沌とした場所を体験した後にこちらに来るとかなりリラックスできます。22万人以上が暮らしているとは思えないような人気がない通りが多く、ボートに乗り裏通りを探検するなど喧騒から簡単に離れることができます。
この地で就職するとすれば、ベトナム企業くらいしかありません。外国人が働くとなると、ホーチミンと比べ格段に給料水準が低くなりますので、ホーチミン7区などで仕事を探せばギリギリ通えると思います。

この街の歴史を考えると、観光客のこの地域への殺到は自然なものです。17世紀後半の明王朝の崩落により、フェルモサ(現在の台湾)から逃亡してきた移民が、以前からクメール人の支配下にあった地域への侵略を目論んでいたベトナムの人々と力を合わせこの地域に殺到したのです。

2世紀後、ベトナム戦争で継続的に町に軍が置かれている間、地域の栄養豊富な稲作と果物を探していたフランス軍がこの地に守備隊を置き、豊作物を運ぶため廃止されていた鉄道線をサイゴンまで伸ばす価値があると判断しました。現在、賑わっている市場を歩くだけでわかりますが、ミトー省はこれまでより商業において重要性が際立っています。

川の賑わい状況や優雅なサイパンから広範囲にわたり未塗装での貨物船が走行しているのが西部のラックホン公園から最もよく見えます。この公園ではデルタで最も個性的な船先に猫の目が描かれているボートが見れる場所です。週末の夕方には、街角は行き来する家族で賑わい、風船、ポップコーン、熱帯魚まで売っている人があちこちにいます。夜には、若いカップルたちが身を寄せ合いながらオートバイに乗り、かつてミソーで学問を学び反フランス軍に対抗した19世紀の英雄グエン・フー・アンの像が見下ろす街で少年たちはシャトルコックフットボールをし遊んでいます。

日帰り旅行をする人は、メコン川のティエンジアン省の島々をツアーバスやボートで旅行し船酔いするなど気分が悪くなる人が多いため、ミトーをあまり観光しません。メコン川上流部にあるカイビーでも同様です。11時ごろになるとホーチミン市からバスに乗った観光客が水上バスのボートツアーのために村に殺到します。地域を組み合わせて旅の予定を組むことは楽しく気分転換になりますが、少なくとも1泊は必要でしょう。カイビーとは対照的にドンサム集落の一風変わったヘビ園では観光客はほとんどいません。