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ベトナムのお正月は日本のお正月と違います。それは、時期です。 日本ですと、お正月といえば、新暦の1月1日の元旦、1月3日までが三が日で1月15日までが松の内と呼ばれています。(地域では松の内が1月20日までのところもあるようですが、私は1月15日までだと小学生で習いました)ちなみにお正月の準備は12月8日から始められます。 ベトナムのお正月はテトと呼ばれ、中国の春節と同じで、日本の旧暦のお正月と同じです。時期は1月下旬から2月中旬の2週間弱です。新暦に合わせると、始まる日にちが年によって違います。今年は来週の2月16日となっています。 社会人になってからの日本のお正月休みは、12月29日〜正月3が日か、1月5日までの1週間程度だったと思います。しかし、ベトナムのお正月(テト)休みは大晦日から数えて10日間〜2週間が多いです。(私の会社ですと、来週の15日から25日まで) 日本人からすると、お正月休みが長いように感じられるため、日系企業を中心にこれを短くするような話がありますが、年間の休日数で比較すると日本と比べて格段に少ないベトナムなので「お正月休みくらいは多くても良いんじゃない?」なんて思っています。 私は今人材紹介会社で営業をしているので、このような話を営業先で良くします。 日本駐在の方や日本から出張ベースで来られている人は日本の暦に合わせて働かれている方が多いので「ベトナムのお正月休みは多いよね」と言われ、ベトナム採用(現地採用)の方やベトナムの暦に合わせて働かれている方は「お正月くらいは休ませてくれたら良いのに」と言われます。 先日、年末の挨拶回りをしている時にこんな方に会いました。ベトナムの暦で働かれているはずなのに、「テトは日本に戻って日本の仕事をして欲しい」と言われ断れなかったと。そこで「もし転職をお考えでしたら、しっかりテト休みが取れる会社を紹介しますよ」と言って話をして結構盛り上がれました。
はじめに 現在、ベトナムには約1700社の日系企業が進出しています。ベトナムへの日系企業の進出数は、年々増加傾向にあり、それとにともなって日系企業による日本人求職者の需要も年々高まってきています。日本人がベトナムで仕事を探す方法として、大きく3つの方法があります。1つ目は、友人や知人からの紹介です。2つ目は、海外求人情報サイトです。3つ目は人材紹介会社への登録です。海外求人情報サイトを運営しているのが人材紹介会社ということが多いため、ここではベトナム(ホーチミンやハノイなど)にある人材紹介会社についてまとめました。 優良人材紹介会社の見つけ方 ベトナムには多くの日系人材紹介会社があります。その中から優良人材紹介会社を見つける方法として、重要なのはこちらの3点になります。 ①人材紹介会社への登録やサービス(就職相談や仕事の紹介など)が完全無料で利用出来ること。 ②登録後のレスポンスが当日もしくは翌日にはあること(土日を挟む場合は除く)。 ③ホームページに求人情報が掲載されていること。 このページに掲載している人材紹介会社は、上記3点を踏まえて優良人材紹介会社を並べております。 人材紹介会社の登録を迷われた場合はこの中から2つか3つの人材紹介会社に登録してみると良いです。 ベトナムの優良人材紹介会社リスト ベトナムにて日本人を紹介している日系の人材紹介会社(日本人常駐の人材紹介会社を含む)をリストアップしています。このリストにある人材紹介会社は2018年現在、ベトナム(ホーチミンもしくはハノイ)にオフィスがある人材紹介会社のみとなっています。進出支援コンサルティング会社などでベトナムにオフィスがない会社は省いています。 キャリアリンクベトナム –会社名:キャリアリンクベトナム(公式サイト) -URL:https://kyujin.careerlink.asia/vietnam -会社紹介:2006年からベトナム ホーチミンで人材紹介と求人ウェブサイトの運営を行っているベトナム日系人材紹介会社です。日本人向けサービスでは主に日系企業への現地採用人材の紹介を行っており、長年の信頼と実績を積み上げています。ベトナム人向けサービスでは優秀なベトナム人求職者と日系企業に関わらずベトナム企業や外資系企業をつないでいます。またベトナム人向け求人ウェブサイト(http://www.CareerLink.vn)は、日系では最大級の登録者を誇っており、求人掲載件数はベトナムでトップとなっています。 -所在地情報 [ホーチミン] 住所:R302, 270-272 Cong Hoa, Tan Binh, HCM, Vietnam [ハノイ] 住所:307, 535 Kim Ma, Ba Dinh , Ha Noi, Vietnam ジェイエイシーリクルートメント –会社名:ジェイエイシーリクルートメント(公式サイト) -URL:http://www.jac-recruitment.vn/ -会社紹介:ジェイエイシーリクルートメントは、日本を含め世界各国に会社がありますが、本社はイギリスにあります。ベトナムホーチミンのオフィスには日本人スタッフが常駐しています。本社がイギリスにあることから、日系企業よりも外資系企業に強い人材紹介会社と言われています。 -所在地情報 [ホーチミン] 住所:Floor 19, Ruby Tower, 81-83-83B-85 Ham Nghi, District 1, HCMC, Vietnam [ハノイ] 住所:Room 15-04, Prime Center, 53 Quang Trung street, Hai Ba Trung District, Ha Noi, Vietnam パーソルベトナム(旧:インテリジェンス) –会社名:パーソルベトナム(公式サイト) -URL:https://www.persol-group.co.jp/ -会社紹介:2018年1月、インテリジェンスベトナムからパーソルベトナムという名称に変更されました。インテリジェンスは日本では大手の人材紹介会社ですが、ベトナムにおいてはまだまだ小さな人材紹介会社です。ファーストアライアンスという人材会社を買収しました。 -所在地情報 [ホーチミン] 住所:12th Floor, Room 1211-02, Saigon Trade Center, 37 Ton Duc Thang, Ben Nghe, District.1, HCMC, Vietnam RGF(リクルート) –会社名:RGFベトナム(リクルート・グローバル・ファミリー・ベトナム)(公式サイト) -URL:https://www.rgf-hragent.asia/vietnam -会社紹介:RGFベトナムは、ベトナムに進出して日が浅いですが、日本で有名な人材紹介会社であるリクルートのベトナム子会社です。 -所在地情報 [ホーチミン] 住所:Room 1104, Sailing Tower, 111A Pasteur, District 1, HCM, Vietnam [ハノイ] 住所:Room 11-01, Gelex Tower, 52 Le Dai Hanh, Hai Ba Trung[…]
ベトナムで就職してからは、日本のお正月とは無縁だと思っていました。 なぜならベトナムのお正月は日本とは違って時期が違うためです。ベトナムは大体2月上旬です。大体といったのは、ベトナムのお正月はテトと呼ばれ、日本の旧正月と同じ時期にあるからです。旧正月とは旧暦のお正月のことで、新暦を使っている現代からすると、カレンダーの法則が異なるため、年によって日にちが違ってきます。 話は戻りまして、今は日本のお正月ですから、私がベトナムで元気に働いているかと気になったようで父と母、お兄ちゃん夫婦と甥っ子、お姉ちゃんとお姉ちゃんの彼氏、近所の田中のおばちゃんが遊びに来てくれています。 12月29日の昼からホーチミンに来ているのですが、私が現地採用で働く友人たちとの忘年会が12月30日にあることを告げていたこともあり、親族御一行はお客様の旅行会社(最近人材を紹介させて頂いた)のダナン・ホイアンツアーに2泊3日で行ってもらいました。親族御一行と過ごしたのは31日の昼と昨日の2日間でした。ホテルのカウントダウンパーティが終わっても甥っ子が起きていたのでお年玉をあげると、なぜか両親と田中のおばちゃんからお年玉をもらいました。最後にもらったのが高3だったので驚きました。 親族御一行は6日の深夜便で日本に帰るそうですが、今日からお兄ちゃん家族とお姉ちゃんとお姉ちゃんの彼氏はフーコック島に2泊3日で行っています。両親と田中のおばちゃんはホーチミンに滞在しており、「今はクチトンネルツアーが終えて部屋に戻ってきたところ」と言うラインが来ておりました。 最後に余談ですが、タイは仏暦の正月を採用しているで4月頃になり、カンボジアはクメール暦を採用されておりタイと同じで4月頃になります。カンボジアは少し面白くて新暦のお正月、旧暦のお正月、クメール暦のお正月と年3回のお正月を祝うそうです。(カンボジアは4ヶ月に3回お正月がある国だということです) ベトナムからカンボジアの会社に転職した友人が、去年3回もお正月の写真をフェイスブックに上げており楽しそうだったのを覚えています。
ベトナムで働いていると正直クリスマスなんて縁のないものだと思っていました。 なぜなら万年暑いので雪や氷なんて程遠い存在だと思っていたからです。常夏の国ということは雪などへの憧れが強いということを知りました。 日本に実習生として行っているベトナム人に知りあいいるのですが、彼女のインスタグラムに雪の写真がアップされていると、ベトナムにいる友人からはLikeやコメントが殺到していました。 その憧れからか街にはクリスマスツリーが「私のクリスマスツリーが一番だ。」と言わんばかりに大きなクリスマスツリーが飾られています。街中をぶらりとしたところ、個人的には高島屋が一番綺麗だと思いましたが店内なので少し微妙かと書きながらに思っています。 また先日までブラックフライデーと騒がれていたショッピングセンターや服屋などは、今はこぞってクリスマスセールをやっています。値引率をみると、ブラックフライデーの方がよかったように思える店ばかりですのでGoogleカレンダーには来年の11月第4金曜日にショッピングと言う予定を入れておきました。
ベトナムを代表するホーチミン市は、ベトナム最大の街であり商業の中心地となっています。1986年のドイモイ政策による経済変化の結果、都市が活性化されました。サイゴン川のほとりにあり、人口約800万人が住んでいるこの街は、旧名サイゴンとしても広く知られています。戦争跡地のイメージから、シンガポール、バンコクそして他の南アジア勢力国に劣らない大都市に変貌を遂げ、。高級レストラン、リゾートホテル、派手なバーやクラブ、高級品の輸入販売店などが経済を大きく成長させました。フランス植民地時代の異国情緒溢れる景色から、シンプルなソビエト風の住宅、古代からのパゴダ(寺院の塔)も観光客を引きつけ、経済成長の追い風となっています。 しかし、ホーチミン市では未だ食べ物、住宅、仕事に関しては経済的に豊かな国民が少ないのです。ストリートチルドレンは、本、ハガキ、宝くじ、ライターを観光集団を探して歩き回り、手足がない物乞いは運転が雑なトローリに乗り込みます。町では、財布を盗もうと目を光らせているスリがうろついています。物乞いの数は徐々に減ってきていますが、観光客はその現実を受け入れなければなりません。 ハノイをロマンチックな魅力溢れる都市とするなら、ホーチミン市はその反対で、見るもの聞くものすべてが騒がしくギャンブル色が強い都市となります。急激なスピードで新しいホテルなどが建築され、目まぐるしい発展を遂げています。 おびただしい車とマイクロバスが、最先端のホンダSUVと肩を並べ並木通りを走行しています。この混沌とした中で、地元の人々は生活しているのです。スマートに制服を着こなす学生は、街路脇にいる宝石の押し売りをする人の前を通り過ぎていきます。デザイナーブランドのジーンズを着た10代の若者がキャッキャと携帯電話で話す最中、買い物を終えた女性が紫外線や埃を防ぐためにギャングスターのようなバンダナをつけオートバイに乗っています。ホーチミン市を楽しむコツは、その慌ただしさを受け入れることです。市場で販売される豚を積み上げたオートバイや、麺を宣伝するために竹のカケラをトントン叩きつけて注意を引こうとする少年も、そこらじゅうで目にすることができます。 ホーチミン市は24区に分かれています。観光客は第1、3、5地区より向こう側へはあまり観光に行きません。さらに、他の観光都市とはかなり対照的なフーミーフンは、シンガポールにもないような綺麗な街で、別名第7地区の南サイゴンと呼ばれており、近年海外駐在員が増加しています。ホーチミンで働いている日本人の多くは第1区で生活しており、家族連れの日本人は、日本人学校がある第7区で生活している人が多いようです。近年では日本人向けのサービスが増えており、もちろん、飲食店などは数えられないほどです。ホーチミンで生活してみるのも、楽しそうですね。 ホーチミンの就職事情としては、日系企業だけでなくベトナム企業や日本以外の外資系企業でも仕事はあるのですが、英語がネイティブレベルでないといけなかったり、日常会話以上のベトナム語力が必要であったりとハードルは高いです。そのため、日本人であれば日系企業で就職することが多くなります。職種は市内ですとオフィスワークか営業職が、ホーチミン郊外や近郊の省(ビンズン省やドンナイ省など)での工場勤務がメインとなります。 ホーチミンで働く日本人、ベトナム人を日本で雇う企業も増えているそうです。 ベトナム ホーチミンの求人・転職情報 : キャリアリンク ホーチミンの優秀なITエンジニアの紹介 : WWシステム ホーチミンの就職事情は、人材紹介会社や就職斡旋会社だけでなく、すでにホーチミンに住んでいる日本人のブログからも情報を得ることが出来ます。 ベトナム就職転職情報のあれこれ 第1地区のサイゴン川のほとりに位置する本土の中心地、Ben Nghe 橋の川の合流により形成された土地にあります。古くからこの土地はフランス領でしたが、未だサイゴンとして広く知られています。ドンコイにはそのような歴史的背景があり、植民地の面影や美術館が数カ所あるT型の通りは、レ・ズアン通りと呼ばれています。しかし観光地の多くは、お互いに遠く離れた場所に点在しており、観光客は場所を点々としなければなりません。これらの施設の中には、アメリカ戦争に特化した美術館がいくつもあります。 戦争関連の場所をメインに回る観光客がおり、統一会堂のような歴史観光スポットにはたまらない場所となっています。まだ、本土は数世紀に渡るアメリカの介入より以前から存在していましたが、全ての都市が飛行機、タンク、および大砲を中心に発展したわけではありませんでした。ノートルダム大聖堂や市役所のようなフランス植民地時代の名残が残る建物の中でしかし、市中のうっとりさせるような礼拝所があるクアン・アム塔と、福海寺(玉皇殿)のような華々しい歴史ある建造物と比べると新しい外観です。もし静かな場所に行きたければ、比較的静かな植物園に行ったり都市の歴史美術館に戻ることもできます。 観光し疲れたら、市街からそう遠くない水田やビーチ、田舎に行ってリフレッシュできることもホーチミン市の魅力の一つです。市外で一番人気な旅行先は、クチの地下道です。この周辺の住民はアメリカに干渉されることはありませんでした。タイニン市にあるトンネルは、その地の高台教(カオダイ教)の大寺院ツアーでよく組み合わされます。ミトー市のメコンデルタは丸一日を使えばプチ旅行をするのはかなり簡単です。 灼熱のホーチミン市を訪れるベストシーズンは12月から4月までの乾季です。5月から11月までの湿度の高い時期には、旅行にはあまり影響はないですが、かなりの頻度で熱帯嵐が起こります。平均気温は一年中26℃から29℃を上下しており、3月、4月、5月が最も暑い時期です。 ホーチミン市の初期の歴史の知識は、大まかには以下の通りです。1世紀から6世紀の間に扶南王国の支配下になりました 。扶南王国はその後、プレアンコールチェンラ帝国のカンブジャ人により合併されましたが、これらの帝国が、この土地がのちに大都市 ホーチミンとなろうとは夢にも思わなかったのです。 クメール漁師はこの地でなんとか生計を立てていましたが、人の居住地としては条件の良いデルタ湿地帯北部の平坦な土地に集落を作りました。元々はプレイノコールと呼ばれ、メコン川下流のカンボジア船の保管庫として、17世紀までにはマレー、インド、中国から来た商人の取引地や駐屯地として栄えた場所でした。 そのような劇的な変身は北部の人々から注視されるようになったのです。18世紀までに、ベトナムはチャンパ王国を支配し、このエリアはグエン王朝により占領されました。新しく名付けられた国名 サイゴンは、 ”kapok tree”(カポックノキ)というベトナム語の言葉から由来されていると思われます。西山党の乱を受け、1772年に阮王朝が領地全体を八方形の城壁で囲みサイゴン城を築き上げました。ソンタイ兄弟を下した軍隊はベトナムの支配を密かに進行させるため、数十年に渡りベトナムを支配下に置こうと密かに企んでいたフランスの支援部隊を味方につけました。ついに1861年に、フランス宣教師の迫害を口実としてサイゴンを抑圧し、1862年のサイゴン条約ではフランス領コーチシナ(ベトナム南部の呼称)と宣言しました。 ホーチミン市にはフランス植民地時代の特徴や面影が残っています。橋は取り壊され、湿地帯は乾ききり、蒸気機関車や洒落た名前がつけられた大通りのようにフランスを連想させるような名前や場所が増え始めました。新たにヨーロッパ風のカフェやブティックができ、ベルモットを飲み、バゲットを食べ歩く市民が多くなりました。1930年代に訪問したサマセット・モーム(フランス出身の作家)は「陽気で笑顔に溢れた小さな地方の町」を思い出したそうです。フランスの植民地サイゴンの人々は都市の急速な拡大の最中、ベトナムのゴムと米を輸出にメリットを見出し投資をしました。 一方でフランスの定めた規則は、非常に厳格なものでした。1920年代から1930年代を通じて否定的な意見が目立ちはじめましたが、国家主義者のデモ運動は第二次世界大戦の南アジア以前にはあまり目立っていませんでした。1945年のポツダム会議では、英国陸軍が南ベトナムにいる日本軍の軍事縮小をさせる命令を課しました。サイゴンに到着した2ヶ月後フランス軍の軍事力が再び勢いを増し30年にもわたる戦争をはじめたのです。サイゴンは1954年にジエンビエンフーでのフランス軍が降伏を宣言した反フランス戦争の間は全く行動を起こさなかったのです。 1955年、ディーム大統領により南ベトナム共和国の首都であったサイゴンは、米兵の職務撤退に伴い、たちまちベトナム戦争の要でありドンコイ沿いの安いバーが多く集まる、休養の地(当時ツードとして知られていました)となりました。学生や修道士に対するデモ運動への共産主義者の爆撃など混沌がありましたが、サイゴンには良き時代もありました。数百のアメリカ人を味方にした起業家が多く生まれ、儲け仕事は1973年のアメリカ軍撤退によって無くなり、2年後、大統領宮殿の目の前まで迫るほどにホーチミン運動が広がり、共産主義者は鎮圧されました。それから1年も経たず、サイゴンは、新たにホーチミン市と名付けられました。 戦争の年が始まりました。アメリカ軍による広範囲の爆撃により、比較的安全な都市でも何百万人もの難民が避難を強いられ、経済と社会全体に打撃を与えました。数百万にもぼる人々がボートで国外に逃亡したのです。 1986年〈ドイモイ氏により経済の自由化が施行され、市場経済が再導入、幸運なことに経済上昇の兆しが見えました。二十年後の現在、都市の再建が最優先され住人はこれまでになく明るい未来を期待しています。