ムオンライ南部の道路には、ところどころに裂け目があります。 国道6号線で南東からトゥアンジャオへ行く方法がソンラ省までの一番の近道となります。国道12号線は100km(車で約3、4時間)以上あり、トラックでここを移動する際は、最初のうちは穏やかですが、50km地点にさしかかるとかなりのスピードでディエンビエンフーのハート型をした谷まで駆け抜けます。ここはフランス領インドシナとしての終わりを決定づける戦いに、ヴォー・グエン・ザップ氏が勝利した場所です。ここを訪れる観光客はフランスの歴史好きである人が少なからずおり、ディエン・ビエン・フー は地域の少数民族村に出かけるスタート地点として観光客が増加しています。谷の人口比率は、都会の周辺に密集しているベトミン族をしのぎ圧倒的にタイ族(53%)が占めています。近年、海外からの観光客に国境を開放したこともあり、ラオスへの入り口としても利用されるようになっています。

町の南部に向かうと、右側には道路から少しはみ出た博物館があります。第二次世界大戦で使用されたアメリカ産拳銃が、フランス軍に発見され持って帰った兵器などの展示が行われています。ベトミン族の銃を横目に見ながら道を通り過ぎると、先ほどの拳銃より新しいものが展示されているのが目に入ります。韓国戦争の舞台となった丘周辺の戦地から掘り起こされた戦利品です。展示物の写真には、有名な戦争で焼かれた谷の様子や、動画では取り返しのつかない被害を被ったことが描写されており、戦争を風化させないための展示品として、より記憶に残るものになっています。動画や写真から伝わる悲惨さや私たちへのメッセージは、ベトナム人にも明確に伝わりやすく工夫されています。メインミュージアム左側の小さな部屋では、現地の少数民族の衣装が展示されています。

ミュージアムの真向かいには、赤と金の星マークがついている大理石があります。戦争中に倒れた数人の英雄の大理石墓地とされています。1993年には日越外交関係40周年記念として、威厳のある出で立ちの宮殿の入り口や、英雄たちの名前が掘られた大理石の壁が作られました。壁の外側には、戦争の簡単な描写が描かれています。

共同墓地を見下ろす小さな丘はベトナム人にA1ヒルと呼ばれており、フランス防衛軍との戦争終結に至るまで、戦争が長続きし両国が苦戦を強いられた場所でした。丘の頂上では、再建された地下壕や、フランス軍への対抗に人生を捧げた英雄 ベトミンの墓地を含め、様々な碑を見て回ることができます。また、現在は穏やかな耕作地の谷を見渡すこともできます。

当時ここを支配していたフランス軍にもA1ヒルとして知られていたこの場所は、フランス軍とベトナム人民軍がディエン・ビエン・フーの戦いにおいて争った場所です。

この戦争で犠牲になったベトナム人の墓地がこの地域の小さな丘にあります。

ド・カストリー大佐の司令所跡は当時のフランス軍大佐 ド・カストリーが作りました。その司令所は現在復元作業が行われています。現在も戦争の跡地として保存されていますが、あまり見て回るものはありません。ディエン・ビエン・フー 中心地から数キロ離れた場所に位置し、近辺にある川の周辺では砂埃が舞っており、空中爆弾などの兵器が、周囲の平地で朽ち果てた姿で横たわっています。ここに来る人は、必ず”フランスのために亡くなった人々”と刻まれた記念碑へと足を運ぶでしょう。