伝統的な雰囲気に包まれ、観光地が密集した小さな都市 ホイアンはベトナム中のどの観光地よりも必要不可欠なものとなっています。狭い道には、苔で覆われた屋根の木造建てのお店が軒を連ね、特産品が多く並んでいます。都市の古くからの魅力が自然と保たれており、例えば、ベトナムの中でバイク運転の制限があるのはここホイアンだけで、規則として正面玄関に提灯をぶら下げるなど、地域に特化したビジネスを押しているのもここだけです。何百もの明かりが川のほとりや狭い谷から見え、トゥボン川の水に反射し光っています。また、都市の洋服屋は安価な値段で服を販売しており、アジアのトップグルメでは常に上位にランキングされていることも特徴です。 ホイアンの人気レストラン https://www.tripadvisor.com/Restaurants-g298082-Hoi_An_Quang_Nam_Province.html ホイアンの古代のルーツは16世紀の中国、日本、ベトナム、ヨーロッパの豪華な建築様式の融合が元になっています。全盛期には、チャボン川のほとりは商人が乗る船でいっぱいで、世界でもっとも商業が盛んな場所として有名でした。この長閑な街には、未だにその色褪せない雰囲気が残っています。 市内で最も写真撮影される光景は、間違いなく美しい来遠橋/日本橋ですが、町で最も注目すべき記念碑は、ホイアンの中国人在住者に関連しています。まず、200年経つ商人の家が現存し、今も成功した中国商人の子孫が住んでいます。ガラスの天井屋根や中国風の会館が 日常生活にあちこち存在します。現在、中国人はホイアンの人口約4分の1を占めています。 1999年にユネスコの世界遺産に認定されたホイアンは、今や多くの観光客が訪れる場所となっています。一部は観光地化されすぎていますが、服屋やアートギャラリーが多く、急激に宿泊者が増加していることを受けホテルの建設が急ピッチで進んでいます。またホテルで働くスタッフの求人募集が増えていますが、日本人が就職出来そうな日系企業が関連するホテルはダナンにあるため、ホイアンで就職するには難しいです。 ホイアンのミーソン地域にあるチャム族の跡地へ行き、気軽に日帰り旅行を楽しむことも可能です。周囲を散策してみたり、トゥボン川をボートで下りのんびりとサンパンに乗ることも可能です。もし可能であれば、毎月太陽暦の14日目に開催されるフルムーンフェスティバルと掛け合わせてみましょう。他と違うところは毎年10月に起こる洪水で、足が浸かるほどになりますので、その時期には雨靴を履いていくと観光をより楽しむことができます。 何世紀にもわたって、ホイアンは東南アジアの海上貿易において重要な役割を果たしました。少なくとも紀元前2世紀に遡り、サフィンと呼ばれる文化の人々が中国とインドの商品を交換していましたが、16世紀に中国や日本、ヨーロッパの船が港に集結し貿易ブームを巻き起こし、世界中から商人が集まる年に一度のスプリングフェアが開催されたフェイフォという港(ファイフォスプリングフェアの記事をご覧ください)が状況を一変しました。17世紀終わりの全盛期には、役人が王朝の資金を徴収しようと港に降り立ち、街は職人、金融業者、役人で埋め尽くされました。 貿易活動は日本と中国の商人で回っており、その多くは各国の政府がビジネス、規則や文化的個性を統括しているフェイフォに居住しました。1639年には、日本の将軍が海外旅行を禁止し、”日本通り”や独自の建築様式の数も減少しました。当然ながら、中国の政治改革で町の”自治体”は、会議場や崇拝の場の設置が行われました。 18世紀後半には、泥土がトゥボン川を塞ぎ始め、その影響で市場が中国でも開催されるようになり、それから港の貿易活動は減少していきました。フランス軍がファイフォに議事堂を建設し、トゥーラン(ダナン)から列車が開通されたため、以前の貿易経済を復活させられませんでした。町は、1954年にホイアンへと名前を変更し、何とかフランスやアメリカとの戦争の火から被害を免れ、現在でもその時代の雰囲気が残っています。
Author: love84
小規模のこの国には、驚くほどコンパクトに観光地が密集しています。南部から来た観光客が最初にたどり着くのは、ホイアンでしょう。伝統的な素晴らしい建築物があり、その陽気な雰囲気とグルメが人気です。北部に足を伸ばすと、そこにはダナンがあり、バーやレストラン、洗練された新しい建築物が印象的となっています。都市の裕福さを前面にアピールしています。次に、かつてはグエン王朝の首都があったフエがあります。伝統的な王朝都市には宮殿の建築物や手入れが行き届いている中庭があり、まるで昔にタイムスリップしたかのようです。最後に非武装地帯(DMZ)として有名なベトナム戦争の跡地があります。現在物議を醸している北と南ベトナムを分割する場所がここにあります。 天候、料理、言語、さらには非武装地帯(DMZ)をまたぐベンハイ川の北側と南側の地域の特性の違いに気づくと思います。ベトナムはずっとこの地点で分けられていたわけではありません。最近は中国支配下の政治と文化の中心地域からドンコイの北側 ホアンソン山と、インド化されたチャンパ王国から南が国境でした。ベトナム独立国は17世紀に勢力を伸ばしたため、ベトナム軍は周辺にある国境に向けて南下しました。フエの近くにあるハイヴァン峠です。ここでもまたミーソン聖域での寺が制圧され王国が開かれた15世紀まで、チャム族が他国の侵攻を阻止していました。 それから、陳王朝と阮朝同士はこの同じ土地を巡り再び争い合ったのです。ライバル関係がついに爆発したのは19世紀にフエが国の都市になった時でした。阮朝はフエを帝国都市とし、そこに宮殿や寺、霊廟を建てたにも関わらず、戦争に苦闘しましたが、現在はベトナムの重要な観光地となっています。1954年にはベトナムは北緯17度線で分けられ、1975年の南北国境再統一までベンハイ川や非武装地帯(DMZ)がベトナムの国境となっていました。現在はあまり観光地としてオススメの場所ではありませんが、非武装地帯(DMZ)の荒れ果てた戦地は戦争で戦ったどちらの国軍兵士、また二国間の衝突で亡くなった市民にとっても辛い思いが残る記念碑となっています。 ダナン近くのチャイナビーチは、ベトナム戦争当時を思い出させる名前ですが、観光地はこれだけではありません。ホイアンの小さな川沿いの街は伝統色が強く、木造建築職人で活気に満ちたホイアンは特に素晴らしいのです。ホイアンから内陸側は他の地域へ向かう途中の町で、現在も巨大な建築計画が話題になっている最中、昔ながらのビーチが残っています。チャム族のスピリチュアル精神が活きるミーソン聖域は、草が生い茂る緑豊かな谷にあります。 この地域は北から南まで伝統的に天候が不安定で、一般的にはダナンやフエ周辺では9月から2月まで続く雨季には道路が分断されることも珍しくありません。フエは特に酷く、都市の年間降水量3メートルを考えると3月から8月までの乾季でも、豪雨に見舞われる日が数日あります。南部へ訪れるベストシーズンは2月から3月末の春で、気温と蒸し暑さが夏の最高記録(30度近く)に到達する前か、雨季直前の夏の終わりの時期でしょう。